フェンガー記念館

I フェンガー記念館の経緯 ~エミ~ル・フェンガー氏とは~

氏は、農林省が、北海道にならい積雪寒冷地に適した酪農併用の経営(酪農経営)を普及させることをねらい、山形県指導のために夫人(フリーダー・フェンガー)とともにデンマークから招聘した農業技術者である。昭和26年から29年9月まで、当時の新庄原種農場(農業試験場最北支場)に隣接した新庄農業高校の地にモデル農場として、デンマーク農法指導農場をつくり、畜舎、住宅を建て、指導にあたった(全圃場面積4.3ha)。その住宅が、本校新庄神室産業にあるフェンガー記念館である。なお、氏の多大な功績に因んで賞も創設されている。氏は、1894年(明治27年)生まれ、コパンハーゲン国立農業獣医大学卒業後、農業経営や教師をし、従軍も経験している。大正1313年から昭和3年まで招かれて北海道琴似での指導実績がある。

○エミール・フェンガー賞

日本の酪農経営の発展に多大な功績を残したエミール・フェンガー氏(デンマーク)に因んでもうけられた賞。氏は、日本の酪農経営に深い関心を持ち再三にわたり来日し、山形県や静岡県にデンマーク式農法指導農場を設置し、自ら模範的な酪農経営を行い、実地指導を通じて日本の酪農経営の発展に寄与された。日本における農村青少年育成のために氏が昭和43年に寄贈した基金の益金が、毎年夏に開催される全国農業青年技術交換大会(現:全国農業青年交換大会)において優秀な成績を修めた男女一組に銀杯を授与し今後の精進を期待するものとされ、男子についてはエミール・フェンガー賞、女子については婦人の名をとってフリーダ・フェンガー賞と名付けられている。

Ⅱ フェンガー氏と農業教育

氏が指導にあたられた昭和26年から29年までの時期は、本地区での高校における農業教育の創生期であり、新庄市松本松枝(最上学園付近)に新庄農業高校の前身である新庄北高農業課程の校舎を建設し、農業後継者の育成を始めた時期と符号する。松枝地区は、デンマーク農場に大変近い場所であった。また、新庄農業高校として独立後、昭和44年からはデンマーク農場跡地とも言える松本地内(現在のフェンガー記念館)に敷地を移した。その中で、氏の指導された理念を引き継ぎ、また、伝える形で新庄農業高校でも生徒の指導にあったてきた。平成15年4月に新庄農業高校と新庄工業高校が統合し、新設された本校新庄神室産業高校においても、これから地域を支える若者に対して、氏の理念を引き継ぎ教えていくことは重要なことでもあり、意義深いものである。

Ⅲ 記念館の内容

  1. 記念館として、氏の業績並びにゆかりの品を展示する。
    1. 外部 入り口付近にフェンガー記念館の由来を記した看板
    2. 内部 写真パネル、報告書(写)、縮小住居模型、ゆかりの品々の展示等
    3. 周囲 芝生・花壇・樹木等
       
  2. 学校としての所轄分掌
    総務部及び事務部

Ⅳ 公開について

  1. 一般の方々に対して公開する
    (事前に連絡をもらい、時間・人数などを調整)
    • 住所 山形県新庄市大字松本370 山形県立新庄神室産業高等学校
    • TEL 0233-28-8775(総務部)
    • FAX 0233-22-7111(事務部)
       
  2. 生徒に対して
    特に、農業科の生徒に対しては農業科学基礎などの授業として。
     
  3. 説明用の資料の準備。