1894年(明治27年) | デンマークに生まれる |
1918年(大正7年) | 国立農業獣医大学卒業 (コペンハーゲン) |
1919年(大正8年) | 農業研究所助手 |
1920年(大正9年)~ | 農業経営(ライング・ハレイガード) ノーズジョランド農業学校教師 |
1923年(大正12年) ↓ | 北海道庁との契約で酪農経営指導のため、札幌市郊外に滞在 |
1928年(昭和3年) | 6ヶ月にわたりアメリカ・カナダを視察 |
1929年(昭和4年) | ノーズジョランド農業学校教師 |
1930年~32年 | コリンズ農業会理事 |
1932年~45年 | 小作経営(ライング・ハレイガード) |
1931年~41年 | ライングビー農業学校教師 |
1945年~50年 | 農業経営(フレデリックスンド、フジエルデホジガード)ノーズジョランド農業会教師 |
1951年(昭和26年) ↓ | 日本政府農林省雇技師、農林省東北農業試験場所属・山形県新庄市松本で営農指導 現在のフェンガー記念館に家族と共に居住 |
1954年(昭和29年) | 日本政府との契約満了に伴い帰国 |
デンマーク農場の歩み
正式名称 | デンマーク農法指導農場 |
所在地 | 山形新庄市松本 370番地 |
農場規模 | 全圃場面積 4町3反24歩 内建物敷地 2反5畝 山 林 1反3畝17歩 耕 地 3町8反7畝7歩 |
農業指導者 | エミール・フェンガー(EmiIHauchFenger) |
1950年(昭和25年) | |
吉田茂総理来県、村山知事の要請により北海道に派遣予定のデンマーク国の農業技術者エミール・フェンガー氏を山形県に派遣することを約束する。 | |
1951年(昭和26年) | |
7月21日 | フェンガー夫妻デンマークのコペンハーゲンを出発 オランダのロッテルダムよりデンマーク船「コンギニア号」に乗船 |
3月24日 | フェンガー氏夫妻来日、横浜港に到着 日本政府農林省雇技師(農林省東北農業試験場所属) |
4月11日 | 新庄市の現在地に農場設置が正式に決定した。 |
5月12日 | 来県する、宿舎は山形市の県職員官舎 |
14日 | 新庄市のデンマーク農場を視察 |
6月 | フェンガー夫妻の住宅 畜舎7棟の建設(東北地方建設局)始まる。 |
11月30日 | 新庄市のフェンガー夫妻の住居に山形より移住する。 |
12月5日 | デンマーク農法指導農場竣工式 |
1952年(昭和27年) | |
4月 | 近藤 技師、フェンガー氏の通訳兼助手として農林省として派遣される。 |
6月20日 | デンマーク公使Lテイリッツエ来県、村山知事とフェンガー夫妻の案内で同農場を視察 |
9月 | 清宮内親王殿下デンマーク農場を視察 |
1953年(昭和28年) | |
8月19日 | 山形ロータリー倶楽部で講演 |
9月30日 | 庄内農業高校で講演 |
11月10日 | フェンガー氏講演依頼、岡山農地経済部長 |
1954年(昭和29年) | |
1月5日 | 記録映画の借用申し込み、帯広畜産大学 |
2月21日 | 映画「日本のデンマーク農場」発表会開催 新庄映画劇場 |
2月26日 | 東北農業研究会で講演 東北大学農学部 |
9月 | 契約満了につき帰国(4年間) フェンガー夫妻の住居は保存 |
1955年(昭和30年) | |
8月 | 県立経営伝習農場本館建設 第1回伝習生11名 入校全寮生活で旧デンマーク農場の施設を使用して教育を開始。 |
1968年(昭和43年) | |
5月31日 | 山形県立新庄農業高等学校舎竣工 |
1982年(昭和57年) | |
3月 | 保存させているフェンガー夫妻住居の改修工事 (入り口を南から西側に移し、内部の仕切りは取り壊される。) |
2001年(平成13年) | |
3月 | 県立農業大学校に、留場俊光氏(村山市名取)から、フェンガー氏に関する資料の寄贈(図書館に保管)。 |
2004年(平成16年) | |
8月2日 | フェンガー記念館の保存修理工事を県教育庁に申請 |
13日 | 本校から県立農業大学校保有の、フェンガー氏に関する資料の移管依頼 |
9月1日 | 県立農業大学校から資料移管の了承通知 |
10月14日 | 県立農業大学校から資料移管 |
26日 | 県教育庁からフェンガー記念館の保存修理工事許可通知 |
3月 | 保存修理工事完了(新築当時の外装色に復元) |